何をやってもいいのがアートですよ

2022年9月20日火曜日

アート

t f B! P L
「アートとは何をやってもいいのだ」
(ただし他人の権利を侵害しない限り)
ということがなかなか理解されない状況は嘆かわしい。

とあるアートが批判されているそうだが、
この例では、
アーティストが自分の作風で規定のキャラクターを装飾した
というだけではないのだろうか。

それを
「キャラクターに失礼」とか
「アートというものは低レベル」などと
アーティストやアート界を批判するのは
まったく理解が足りていない行為だと思う。
単なるごく狭い視点からの意見であり、
広い視野を持てば別の意見がいくらでもあることにも目を向けたほうがいい。

そのキャラクターを愛するものとして
「不快」
「見たくない」
と思うのは自由だし、それを発信するのも自由。
その感情まで含めてアート
という意見もあるだろう。

アートとしてフラットに見て
「アートとして低レベル」
と批評するのも自由。
アートイベントの意義に対して意見するのも自由。

だが、真摯にものづくりに打ち込む
アーティストの努力を卑下するようなことは
許されないと思う。


対象物をさほど理解していない人が、それを題材にしたアートを作ってもいいのだ。
対象物を深く理解していればいるほどすばらしいアートが作れるというものでもないのだ。
(もちろん、理解が浅いほどすばらしいアートが作れるわけでもない)


批判している方々の気持ちは僕もよく理解できる。
「嫌な感情になるよね」でいいのだ。
「嫌な感情になるから撤去しろ」はダメだよ。
それが当たり前の社会になったら
嫌な感情になるページが切り取られた漫画しか売られない世の中になってしまうよ。



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僕自身はといえば、アートに触れたいという欲は人一倍あるが
ドラえもんという作品の物語性を重視していることもあり
(もちろん、「愛するキャラクターが蹂躙されている」かのような本来は正しくない感情を抱いてしまいやすいからというのもあり)
この手のイベントに積極的に足を運ぼうとは思わない。

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